Round-trip letter of Tokyo and Hokkaido

東京のオトコと北海道のオンナ、その離れた距離で行われる往復書簡。

他人に従う快楽だけしか知らない奴らが、威張る時代というのは、最悪だ

今、何かがずれている。

いろいろなことがどうでも良くなってきて、ほんともうダメな兆候。
沸々とした怒りからくる暴力的な感情の高まり、またしばらくすると虚しさとやるせなさ、どうにも咬み合わない人生の歯車に無常を感じて。

自信とやる気の隙間に同居する「なんて俺がこんなことやらなきゃいけないのだ」という矛盾。誰に評価してほしいわけでもないけれど、ただただ周りのメンバーは見捨てられない、そうなると自分も協力せざるを得ないが、なぜそもそもこんな事態になっていのだ、というぼんやりとした絶望感で参ってしまう。

トップが好き勝手やった結果、見事なまでのブラック環境。最近話題となった牛丼屋チェーン店ほどではないからまだまだ〜アレが本物のブラックだ!なんて論点のズレた話題には呆れる。もういつまでこんな生活をすればいいんだろう。

今までの人生で全身全霊をかけてやり尽くしたことがあるのか、そもそも何も成し遂げたことのない者に言う資格はない、まぁそういう意見も分かるけれどね。

親からは大切に育ててくれたのに、結局クソみたいな生活でもう人生半分終わろうとしている。この10年もいろんなことがあったけれど、ついぞ何も手元に残るものはなかった。どれだけ時間と愛情と金銭と費やしても、変わったのは10年歳をとったということだけ。仕事内容も経験が直線的に継続しない畑違いの分野を転々と。

キレそうになりながらもなんとか切れずに我慢してきたが、こんな我慢がこれから何に役立つのか、使い捨てされるのがわかっているのではないか、と。「因果応報」「屈辱をパワーに」そんな逆境からの逆転を拠り所としてがむしゃらになった時期もあったけれど、まぁどうにもならないことも多々あって。ドアはノックし続けることが大切、というけれど、いつまで叩けばいいの・・・と逃げ出したくなる。

自己分析してみると、こういう負の感情が高まって来るときは必ずと言って良いほど、自分の時間がなくなっているとき。良く昔から「貧乏暇無し」というけれ ど「暇がないから貧乏」と言ってきた。長期戦略や現状分析、知識のインプットや技術の向上に費やす時間がないので、成長できない=収益性を向上できず、現状に甘んじジリ貧、そういう図式。

いま感じるストレスを強引に跳ねのけたいしぶっ壊したいが、そこまでする価値を感じていない、熱意がない、という現実。結局、理想とかけ離れたいまの道をこのまま進むことに疑問をもっているんだろうな。気持ちが殺気立ってしまっているのは良くないので、早く平穏な日々を送りたい。もう疲れた。

もうどうにでもなればいいさ、と割り切りたいけれど、自分の人生は最後までコントロールしないと後悔するよなぁ。これからどうしたら良いのだろう。生きがいを見つけるということは、コミットできる人を見つけるということなのだろうか。

社畜(洗脳)となりきれない自分はまだ意志のある人間だと思ってる。誇り高くサヴァイヴしようではないか。そうだよな、R。